「大変なことになったな。気になるかもしれないが、これからは目を閉じて下を向いていろ。 俺たちには何も見えんが、お前には見えてしまうだろうからな。 いいと言うまで我慢して目を開けるなよ」 右隣に座った五十歳くらいのオジさんがそう言った。 そして、じいちゃんの運転する軽トラが先頭、次が自分が乗っているバン、後に親父が運転する乗用車という車列で走り出した。 車列はかなりゆっくりとしたスピードで進んだ。おそらく二十キロも出ていなかったんじゃあるまいか。 間もなくKさんが、「ここがふんばりどころだ」と呟くと、何やら念仏のようなものを唱え始めた。 「ぽっぽぽ、ぽ、ぽっ、ぽぽぽ…」
またあの声が聞こえてきた。 Kさんからもらったお札を握り締め、言われたとおりに目を閉じ、下を向いていたが、なぜか薄目をあけて外を少しだけ見てしまった。 目に入ったのは白っぽいワンピース。それが車に合わせ移動していた。 あの大股で付いてきているのか。 頭はウインドウの外にあって見えない。 しかし、車内を覗き込もうとしたのか、頭を下げる仕草を始めた。 無意識に「ヒッ」と声を出す。 「見るな」と隣が声を荒げる。 慌てて目をぎゅっとつぶり、さらに強くお札を握り締めた。 コツ、コツ、コツ ガラスを叩く音が始まる。 周りに乗っている人も短く「エッ」とか「ンン」とか声を出す。 アレは見えなくても、声は聞こえなくても、音は聞こえてしまうようだ。 Kさんの念仏に力が入る。 やがて、声と音が途切れたと思ったとき、Kさんが「うまく抜けた」と声をあげた。 それまで黙っていた周りを囲む男たちも「よかったなあ」と安堵の声を出した。 やがて車は道の広い所で止り、親父の車に移された。 親父とじいちゃんが他の男たちに頭を下げているとき、Kさんが「お札を見せてみろ」と近寄ってきた。 無意識にまだ握り締めていたお札を見ると、全体が黒っぽくなっていた。 Kさんは「もう大丈夫だと思うがな、念のためしばらくの間はこれを持っていなさい」と新しいお札をくれた。 その後は親父と二人で自宅へ戻った。 バイクは後日じいちゃんと近所の人が届けてくれた。 親父も八尺様のことは知っていたようで、子供の頃、友達のひとりが魅入られて命を落としたということを話してくれた。 魅入られたため、他の土地に移った人も知っているという。 バンに乗った男たちは、すべてじいちゃんの一族に関係がある人で、つまりは極々薄いながらも自分と血縁関係にある人たちだそうだ。 前を走ったじいちゃん、後ろを走った親父も当然血のつながりはあるわけで、少しでも八尺様の目をごまかそうと、あのようなことをしたという。 親父の兄弟(伯父)は一晩でこちらに来られなかったため、血縁は薄くてもすぐに集まる人に来てもらったようだ。 それでも流石に七人もの男が今の今、というわけにはいかなく、また夜より昼のほうが安全と思われたため、一晩部屋に閉じ込められたのである。 道中、最悪ならじいちゃんか親父が身代わりになる覚悟だったとか。 そして、先に書いたようなことを説明され、もうあそこには行かないようにと念を押された。 家に戻ってから、じいちゃんと電話で話したとき、あの夜に声をかけたかと聞 いたが、そんなことはしていないと断言された。 ――やっぱりあれは… と思ったら、改めて背筋が寒くなった。 八尺様の被害には成人前の若い人間、それも子供が遭うことが多いということ だ。まだ子供や若年の人間が極度の不安な状態にあるとき、身内の声であのよ うなことを言われれば、つい心を許してしまうのだろう。 それから十年経って、あのことも忘れがちになったとき、洒落にならない後日談ができてしまった。 「八尺様を封じている地蔵様が誰かに壊されてしまった。それもお前の家に通じる道のものがな」 と、ばあちゃんから電話があった。 (じいちゃんは二年前に亡くなっていて、当然ながら葬式にも行かせてもらえなかった。じいちゃんも起き上がれなくなってからは絶対来させるなと言っていたという) 今となっては迷信だろうと自分に言い聞かせつつも、かなり心配な自分がいる。 「ぽぽぽ…」という、あの声が聞こえてきたらと思うと…