それを見た城中の者どもは、その奇怪さに一様に驚き、
如何にすべきかがわからず「変化である」と騒ぎ立てるばかりであった。
この御庭の騒動に近習は、このことを家康に伝え、どうすればよいかを伺った。家康は、人目につかぬ場所に追い出せばよい」と答えた。
(記載はないが、肉人を城から離れた山に連れて行き捨てた、と云われる)
この話を聞いた学者は、“なんとも惜しいことをしたものだ。騒いだ者らの不学ゆえに、仙薬を家康公に奉ることができなかったとは。その「肉人」は白沢図に伝わる「封(ほう)」というもの。
これを食せば力が増して武勇が優れると云われるものであったのに”
徳川実記という幕府の正史にも記載されている。 |